警察庁が未解決の凶悪犯罪解決の為に今年4月1日から公的懸賞金(捜査特別報奨金)、一件300万円を情報提供者に支給する制度を発表した。
相次ぐ凶悪事件の多発で未解決事件が増え続けているのと、被害者の家族が報奨金を支出した事件がかなり解決したことへの反省がきっかけである。
それにしても300万円という金額は一寸セコイのではないか。
捜査費流用事件の金額に比べたら、一桁上乗せしたらかなり反響があると思うが、警察庁の石頭幹部どもにとっては複雑な心境ではないか。
もしも高額な報奨金を設定した途端に多くの情報が殺到し、ことごとく解決に至ったら無能な刑事担当職員を削減する世論が強くなることは歴然である。
不法入国者や滞在者の激増に伴う凶悪事件の多発を理由に、警察官の大幅増員を企んでいる警察庁の首脳部にとって、懸賞金効果で職員を減らす選択肢は
全く不本意な方向であろう。
一時期厳しく批判された警察官による捜査費流用事件も、警察とマスコミの阿吽の呼吸で最近は世間の関心も薄れて来たところである。
先ずは“隗より初めよ”で、警察庁が率先垂範して警察内部の違法情報、例えば捜査費不正流用を初め虚偽のチャカ摘発や容疑者との癒着問題等、続々提供(たれ込み)が増えること間違いない。
監督官庁が先ず実績を上げれば他の官庁にも波及効果をもたらすのは時間の問題である。
このたれ込み報奨制度を全官庁、地方自治体にも広げれば事件情報は自動的に検察庁、警察本部に集まるはずである。
役人どもは自ら己の首を絞めることになるが、常々奴らは血税の無駄使いばかりしているのだから、最後は国民の恨みの塊である血税で始末されるわけだ。
報奨金の対象基準なるものがまだ理解出来ないが、報道によると全国で取りあえず五件が指定されたそうで、つい最近千葉で起きた英国人女性強姦殺人事件などは、英国民の対日悪感情や外交問題を配慮して至急指定事件にすべきであると考えるが如何?
2007年5月3日
「日米集団的自衛権論議 雑感」
今更、集団的自衛権を俎上に載せて議論を始めた政府の姿勢について、親分筋のブッシュや米国幹部にとって「此の期に及んで何を阿呆なことをぬかすんだ!」程度の案件であろう。
「日本国がロシアや中国から攻撃を受けたら米軍はただちに応戦して日本を守るし、米国及び米軍が攻撃を受けた場合は日本の自衛隊は無視して一切米軍には協力いたしません」というのが従来の日本政府の見解である。
このような得手勝手な屁理屈が米国に受け入れられるはずが無いのは当然であり自明の理である。
そのような非常識な見解を我が国の歴代の為政者は誤魔化してきたわけだ。
日本政府の理不尽な対応を逆手にとって、米国は防衛分担金と称して日本に膨大な見返りと無理難題を押し付けてきた。
そこで安倍政権は憲法改正を公言し同時に懸案の集団的自衛権についても従来の曖昧な姿勢を修正することを明言したわけである。
相手の米国にとっては「両国がやられたら協力してやり返す」のは当然の行為なので日本政府の“寝言”に対して「何を今更阿呆らしいことをぬかしているんだ」との感覚で受け止めているだけである。
このような世界の常識を屁理屈を弄して誤魔化そうとするから、「日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識」といわれる所以である。
「俺が遣られたときはお前は否応無く助けてくれ、但しお前さんが遣られても俺は助太刀はしないぜ」なんていう約束が成立するわけがない。
端的にいえば集団的自衛権とは“やくざの理屈”そのものである。
傘下の組が遣られたら組全体で報復するという相互扶助組織である。
相互扶助組織の根幹はお互いの信頼が基本である。
信頼の基本はお互いに信義を守り相手を絶対に裏切らないことである。
今回の海上自衛隊の機密漏えい事件に見られるような事件が続発するようであれば、親分米国は子分日本を信頼しなくなるのは当然であり、あ日本は孤立するだけである。
2007年5月5日
「中国鉄鋼生産量で日本を凌駕」
中国が鉄鋼生産量で日本を遥かに凌駕して世界一の生産国に発展するにつれて、鉄鉱石を豪州他世界の生産国から大量に購入するので、かって世界一を誇った日本の鉄鋼界は完全に振り回されている。
我輩は二十代後半から四十代前半の十五年間を鉄鋼界に身を置いていたせいか、日本の鉄鋼事情にはどうしても関心が向いてしまう。
報道によると昨年度の世界鉄鋼生産量は12億4000万トンに達し、そのうち35%の4億トン以上を中国が生産している。
因みに日本の生産量は一億1200万トン、アメリカは1億トンで中国の生産量は明らかに突出している。
十年前までの中国は輸入大国であったが、国内景気の向上、継続で膨大な国内消費をまかなうために大規模な高炉や電路設備を増設した結果世界一の生産国に成長した。
中国は年約4億トンをオーストラリアなどから調達する最大の鉄鉱石輸入国。
2003年に日本を追い抜いて世界首位となり06年には日本の2・4倍と大きく水をあけた事実を関係者は真剣に捉えるべきである。
いま中国は08年の北京オリンピックと2010年の上海万博に向かって想像を絶する設備投資を行って4億トンの鉄鋼生産量を消化しているが、今後二、三年後には中国の景気も落ち着き生産過剰に陥るのは明らかである。
中国バブルがはじけたら鉄鋼製品初めあらゆる製品が過剰になり、日本に向かって大量に流入してくることは間違いない。
新日鉄を初め他の高炉メイカーもそのことを十分承知しているので、国内での新規投資は行っていないし、フル操業を控えている。
日本の高炉メイカーの生産能力は1億5千万トン以上あることは業界では周知の事実であるが、一時的な需要増には目をつぶっているのであろう。
いずれにしても隣りに13億人の大国が存在していることはどうしようもない事実であり、奴らに振り回されないためには日本国として如何なる行動をとるべきかを十分噛み締めておかなければならない。
2007年5月9日
「団塊の世代、60歳800万人の動向」
太平洋戦争終結の二年、三年後の1947年、48年に生まれた世代が今年から来年に掛けて60歳を迎えるがその人数たるや何と800万人である。
日本の完全失業者数がバブル崩壊の影響で数年前に500万人に達した時期もあるが、その後の景気動向の変化で300万人前後に減っている。
日本の場合、所謂フリーターの計算方法次第で失業者にかなり影響するが、それでも単純に我がボケ頭で差し引きすれば200万人の勤労者不足現象が発生することになる。
800万人が一斉に退職して再就職をしないとの前提ではあるが、それにしても単純計算では失業者ゼロの完全雇用社会の実現である。
ゼロどころか逆に200万人の求人が増加し人手不足が生じる計算になる。
更に大規模な定年退職者の出現で、仮に一人当たり平均1000万円の退職金を支給すると合計80兆円の大金が支出されることになる。
80兆円といえば日本の一年間の国家予算に相当する金額である。
これらの多額な退職金がそのまま銀行預金に振り代わることはなかろうが、一部は住宅ローンの期日前返済や、個人的借金返済に充当したり、直接需要を刺激しない部分もあるだろうが、いずれにしてもこの金は日本の金融情勢に大きな影響を与えることは間違い。
どうも此の国の為政者、マスコミ等は少子化問題等、将来の不安要因を真剣に取り上げて当面の重要問題を見逃しがちであるが、この800万人の団塊問題こそこの国の命運を左右する大問題であると我がボケ頭は判断している。
終戦後の食料不足の中で食い盛りを抑圧され空腹を経験しながら成長してきた精神力と頑張りが、その後に到来した経済至上主義の基礎戦力となり今日の経済大国を創造したことを否定するものはいないだろう。
これらの功労者世代の貢献に対して政府はどのような優遇措置を以って報いようと考えているのだろうか。
我輩の見る限りでは、優遇どころか医療費負担の増加や介護費用負担増等で更に絞り上げる政策を打つとはもっての他である。
2007年5月13日
太平洋戦争終結の二年、三年後の1947年、48年に生まれた世代が今年から来年に掛けて60歳を迎えるがその人数たるや何と800万人である。
日本の完全失業者数がバブル崩壊の影響で数年前に500万人に達した時期もあるが、その後の景気動向の変化で300万人前後に減っている。
日本の場合、所謂フリーターの計算方法次第で失業者にかなり影響するが、それでも単純に我がボケ頭で差し引きすれば200万人の勤労者不足現象が発生することになる。
800万人が一斉に退職して再就職をしないとの前提ではあるが、それにしても単純計算では失業者ゼロの完全雇用社会の実現である。
ゼロどころか逆に200万人の求人が増加し人手不足が生じる計算になる。
更に大規模な定年退職者の出現で、仮に一人当たり平均1000万円の退職金を支給すると合計80兆円の大金が支出されることになる。
80兆円といえば日本の一年間の国家予算に相当する金額である。
これらの多額な退職金がそのまま銀行預金に振り代わることはなかろうが、一部は住宅ローンの期日前返済や、個人的借金返済に充当したり、直接需要を刺激しない部分もあるだろうが、いずれにしてもこの金は日本の金融情勢に大きな影響を与えることは間違い。
どうも此の国の為政者、マスコミ等は少子化問題等、将来の不安要因を真剣に取り上げて当面の重要問題を見逃しがちであるが、この800万人の団塊問題こそこの国の命運を左右する大問題であると我がボケ頭は判断している。
終戦後の食料不足の中で食い盛りを抑圧され空腹を経験しながら成長してきた精神力と頑張りが、その後に到来した経済至上主義の基礎戦力となり今日の経済大国を創造したことを否定するものはいないだろう。
これらの功労者世代の貢献に対して政府はどのような優遇措置を以って報いようと考えているのだろうか。
我輩の見る限りでは、優遇どころか医療費負担の増加や介護費用負担増等で更に絞り上げる政策を打つとはもっての他である。
2007年5月13日
「初日、結び一番、朝青龍対豊ノ島戦に見る協会の阿呆さ加減」
初日の取り組みを見て我が目を疑った。
結びの一番が朝青龍対豊ノ島とはっきり表示されているではないか。
そんな馬鹿な取り組みが初日から組まれるはずがないと、ぼけ頭なりに常識的な想像していたし、取り組みを担当している親方たちがよもやこのような理不尽な取り組みを行うとは普通考えられないからである。
本場所前から朝青龍の稽古場荒しについてはスポーツ欄で度々指摘されていたが、時津部屋に出稽古して豊ノ島を指名し、相撲界の常識を逸脱した無謀な技で徹底的に“かわいがり”、豊ノ島の右膝じん帯と足首を怪我させ今場所出場を危うくさせた程の重傷を負わせた。
あまりの常軌を逸した朝青龍の振る舞いに、時津風親方が激怒して厳しく指摘し説教たらしいがどうも馬耳東風で無視したらしい。
時津風親方の休場指示を説得して、豊ノ島は並外れた精神力で今場所の出場に踏み切ったらしいが、怪我の程度は当然取り組み編成会議の親方どもも承知していたはずだし、数多くいる幕内力士の中から何も因縁浅からぬ半身不随の豊ノ島を初日の相手に指名することもあるまい。
それとも豊ノ島の怪我の状況は承知の上で、出場する以上は一切配慮しないで取り組みを編成するのであれば、編成作業を優秀なロボットや電算機に任せた方が安上がりで正確ではないか。
機械に任せず何故経験豊富な親方達が取り組を作るかといえば、人間の戦いだから時には人間的配慮をして決して杓子定規な取り組みを避けるためではないのかと、云いたいのだ。
もしも朝青龍に少しでも武士の情けが理解できるのであれば、このような取り組みに朝青龍こそ一番困惑したのではないか。
それとも朝青龍の行き過ぎた稽古方法の誤りを聴衆の前に晒して朝青龍に少しでも反省を求めたとは思わないが、懸賞金をがっぽり受け取って鼻歌まじりに引き上げていた朝青龍を見て親方どもはどのように感じたのだろうか。
今場所を盛り上げるべき初日の結びがこのざまではお先真っ暗である。
2007年5月13日
初日の取り組みを見て我が目を疑った。
結びの一番が朝青龍対豊ノ島とはっきり表示されているではないか。
そんな馬鹿な取り組みが初日から組まれるはずがないと、ぼけ頭なりに常識的な想像していたし、取り組みを担当している親方たちがよもやこのような理不尽な取り組みを行うとは普通考えられないからである。
本場所前から朝青龍の稽古場荒しについてはスポーツ欄で度々指摘されていたが、時津部屋に出稽古して豊ノ島を指名し、相撲界の常識を逸脱した無謀な技で徹底的に“かわいがり”、豊ノ島の右膝じん帯と足首を怪我させ今場所出場を危うくさせた程の重傷を負わせた。
あまりの常軌を逸した朝青龍の振る舞いに、時津風親方が激怒して厳しく指摘し説教たらしいがどうも馬耳東風で無視したらしい。
時津風親方の休場指示を説得して、豊ノ島は並外れた精神力で今場所の出場に踏み切ったらしいが、怪我の程度は当然取り組み編成会議の親方どもも承知していたはずだし、数多くいる幕内力士の中から何も因縁浅からぬ半身不随の豊ノ島を初日の相手に指名することもあるまい。
それとも豊ノ島の怪我の状況は承知の上で、出場する以上は一切配慮しないで取り組みを編成するのであれば、編成作業を優秀なロボットや電算機に任せた方が安上がりで正確ではないか。
機械に任せず何故経験豊富な親方達が取り組を作るかといえば、人間の戦いだから時には人間的配慮をして決して杓子定規な取り組みを避けるためではないのかと、云いたいのだ。
もしも朝青龍に少しでも武士の情けが理解できるのであれば、このような取り組みに朝青龍こそ一番困惑したのではないか。
それとも朝青龍の行き過ぎた稽古方法の誤りを聴衆の前に晒して朝青龍に少しでも反省を求めたとは思わないが、懸賞金をがっぽり受け取って鼻歌まじりに引き上げていた朝青龍を見て親方どもはどのように感じたのだろうか。
今場所を盛り上げるべき初日の結びがこのざまではお先真っ暗である。
2007年5月13日
「70回目の誕生日を迎えて。誕生日雑感」
昨年の5月14日にも“誕生日雑感”を書いているが、今年は七十回目の節目の歳であることに我輩なりの感慨に浸っている。
この三年以内に兄貴達二人が相次いで旅立った頃は、我輩もそろそろ娑婆とお別れかなとの思いが強かったが、幸いにも今日を迎えられたのは七十年に亘る諸般の罪滅ぼしのために、せめてエキストラ・ライフを国益の為に尽くせとの不動明王様のご宣託と受け止めている。
金も無く若さも無く明晰な頭脳も無くて如何にして国益に利するかは確かに難しいことではあるが、目前の問題に積極的に取り組み不条理に対して真剣に全力で取り組む気概だけは持ち続けたい。
“一日一生”、“寸前闇”、“過去を悔いず明日を憂いず”を肝に銘じて毎日を精一杯生きて生きたい。
2007年5月14日
「お粗末な党首討論」
党首討論に限らず安倍の表現には「~でございます」が多いのが耳障りで仕方がないが、そのことに関して言語学の専門家、立命館大学の東教授の解説を読んで安倍言葉の違和感が証明された感じである。
東教授曰く「安倍は未だ若いのに、古い政治家の伝統をまねているようだ。
官僚的なにおいもあって、卑屈な印象すら受ける。」
小沢のいう「党首討論は国の基本の仕組みや制度などについて話をするところ」という理屈は原則論ではあるが、安部、小沢の議論は終始かみ合わずすれ違いのまま全く盛り上がりに欠けたお粗末なパフォーマンスショウであった。
野党党首小沢の迫力、切り込み不足も否めないが、それにも増して一寸追求されると直ぐに感情を高ぶらせ、相手の揚げ足を取ることばかりに集中して反論を試みる安倍の姿勢には、日本民族の命運を預かっている意識に乏しい。
我輩に言わせれば党首討論と言うからには与野党党首二人が命懸けで対決するところに意義があるのであって、単なる質問合戦であれば特別に党首討論など行わなくても予算委員会等で充分である。
しかるに現行の党首討論は先ず舞台装置に問題がある。
お互いに陣笠連中をバックに控えさせて対決する構図が間違いである。
大ホールの舞台で司会者を挟んで二人だけが聴衆の前で言論合戦を行う、アメリカの大統領選挙前に行うスタイルを真似すればよい。
日本の党首討論は英国スタイルを真似して始めたらしいが、どうも様になっていないし、真剣みにも乏しいし国民もあまり関心を示さない、いわば両党主だけの自己満足で終わりである。
日経新聞吉野氏が党首討論を“議論すれ違い、魅力欠く”現在のような討論が繰り返されると党首討論の「廃止論」も出かねないと決め付けているが、我輩も全く同感である。
我輩の見る限り安倍も小沢も己の私欲を追求する政治屋の域を出ていないし、
スタンドプレーばかりが目について仕方がない。
2007年5月18日
「愛知県長久手長の立てこもり事件に対する愛知県警の超お粗末対応」
先ず驚いたのは巡査部長が犯人に撃たれて後、出血して重傷のまま六時間も救助せずに手を拱いていたことである。
警察幹部、指揮系統の大変な責任回避であり、人道問題である。
元内閣安全保障室長の佐々淳行は怒りをこめて曰く「愛知県警はいったい何をやっているのか。木本巡査部長が撃たれた時点でSAT(特殊急襲部隊)を投入し、正面突破すべきだった。
そもそも重傷を負った木本巡査部長を六時間も放置するなんて信じられない」と警察庁大幹部OBであり、安全管理対策の専門家として身内のあまりの不甲斐無い失態に怒り心頭である。
如何なる状況下であろうとも、如何なる理由があろうとも放置すれば死ぬかもわからない重傷を負っている同僚を、身を挺して助けなかった警察を国民は信じるだろうか。
同僚の危機でさえ助けない警察が一般国民を命懸けで助けるわけがないとが考えるのは当然であり、今まででさえ国民の信頼度は低いのに今回の事件で警察は全く国民の信頼を失ったと言っても過言ではない。
報道によると立てこもり事件を専門とする捜査一課特殊班は刑事部に所属し、死亡した巡査部長はSAT所属で警備部の管轄という縦割り組織である。
この混成部隊を現場で指揮したのは刑事部で両ティームの間に情報が徹底せず、命令系統に齟齬を来たしたのが若い巡査部長を犬死させた原因であろう。
犠牲になった巡査部長は同期をトップで任官した成績優秀で、将来の幹部を約束された警察官であった。
イスラエルはモサドという特殊部隊を編成しているが、今回のような立てこもり事件であれば、人質はともかく警察の犠牲を出さずに一時間足らずで解決、決着したであろう。
彼らは拉致されて他国まで連れ去られた味方を救助に行くのだから、全てが命懸けの行動なのである。
警察庁もモサドから教官を招聘して謙虚に指導を受けたらどうですかな。
2007年5月20日
先ず驚いたのは巡査部長が犯人に撃たれて後、出血して重傷のまま六時間も救助せずに手を拱いていたことである。
警察幹部、指揮系統の大変な責任回避であり、人道問題である。
元内閣安全保障室長の佐々淳行は怒りをこめて曰く「愛知県警はいったい何をやっているのか。木本巡査部長が撃たれた時点でSAT(特殊急襲部隊)を投入し、正面突破すべきだった。
そもそも重傷を負った木本巡査部長を六時間も放置するなんて信じられない」と警察庁大幹部OBであり、安全管理対策の専門家として身内のあまりの不甲斐無い失態に怒り心頭である。
如何なる状況下であろうとも、如何なる理由があろうとも放置すれば死ぬかもわからない重傷を負っている同僚を、身を挺して助けなかった警察を国民は信じるだろうか。
同僚の危機でさえ助けない警察が一般国民を命懸けで助けるわけがないとが考えるのは当然であり、今まででさえ国民の信頼度は低いのに今回の事件で警察は全く国民の信頼を失ったと言っても過言ではない。
報道によると立てこもり事件を専門とする捜査一課特殊班は刑事部に所属し、死亡した巡査部長はSAT所属で警備部の管轄という縦割り組織である。
この混成部隊を現場で指揮したのは刑事部で両ティームの間に情報が徹底せず、命令系統に齟齬を来たしたのが若い巡査部長を犬死させた原因であろう。
犠牲になった巡査部長は同期をトップで任官した成績優秀で、将来の幹部を約束された警察官であった。
イスラエルはモサドという特殊部隊を編成しているが、今回のような立てこもり事件であれば、人質はともかく警察の犠牲を出さずに一時間足らずで解決、決着したであろう。
彼らは拉致されて他国まで連れ去られた味方を救助に行くのだから、全てが命懸けの行動なのである。
警察庁もモサドから教官を招聘して謙虚に指導を受けたらどうですかな。
2007年5月20日
「大病院の入院状況。 雑感」
先月、13日に義弟が脳内出血で倒れ、救急病院に担ぎこまれた後、急遽血塊を摘出する脳外科手術を受けた。
東大阪市の藤井会石切生喜病院なる大規模私立総合病院であるが、度々見舞いに行くのでナースステーションや入院病棟の現状を仕方無く見ることになり、どうしても不快な気分になる。
十三年前に故会長が福岡の木村病院に入院していたし、連日見舞いに行っていたので病院の実情については多少なりとも承知しているつもりだったが、今回義弟の入院を機会に当時とは病院側の対応条件がかなり変更されていることを知り厚生省の不条理な行政に怒りを覚える。
入院病棟の相部屋は原則的に出入り口が開けたままなので、患者の状態がいやでも目に入り、非人間的扱いが垣間見られて最初は落ち込んでしまう。
ところが数日通院していると刺激が少なくなり過酷な現実に慣らされる。
義弟の件で一番困るのは、入院後、回復状況の如何に拘わらず二ヶ月でリハビリ専門病院に強制的に転院させられることである。
義弟は左半身不随の後遺症で手足が殆ど意のままに動かないし、左手が使えないので頼りは車椅子のみである。
現在、独力で車椅子に乗る訓練でしごかれているが、あと二週間で車椅子を操るほど手足が動かせるまで回復するのは、素人目に見ても難しいことは歴然である。
救急病院での入院期間を第一段階とすれば、第二段階はリハビリ専門病院での機能回復訓練である。
現在、生喜病院の迎え側に付属のリハビリ病院が建設されているが、残念ながら完成は来年春とのことで、義弟はこの恩恵には間に会わない。
これが今大幅なベッド数不足であることを証明しているし、現状は完全な病院側のやりたい放題である。
救急病院を放り出された患者は、右往左往してベッドの空いている病院をさがさなければいけない非人間的状況を黙視している厚生省の責任を絶対に許せないし、便乗して太平楽をぬかしている病院どもも同罪である。
2007年5月25日
先月、13日に義弟が脳内出血で倒れ、救急病院に担ぎこまれた後、急遽血塊を摘出する脳外科手術を受けた。
東大阪市の藤井会石切生喜病院なる大規模私立総合病院であるが、度々見舞いに行くのでナースステーションや入院病棟の現状を仕方無く見ることになり、どうしても不快な気分になる。
十三年前に故会長が福岡の木村病院に入院していたし、連日見舞いに行っていたので病院の実情については多少なりとも承知しているつもりだったが、今回義弟の入院を機会に当時とは病院側の対応条件がかなり変更されていることを知り厚生省の不条理な行政に怒りを覚える。
入院病棟の相部屋は原則的に出入り口が開けたままなので、患者の状態がいやでも目に入り、非人間的扱いが垣間見られて最初は落ち込んでしまう。
ところが数日通院していると刺激が少なくなり過酷な現実に慣らされる。
義弟の件で一番困るのは、入院後、回復状況の如何に拘わらず二ヶ月でリハビリ専門病院に強制的に転院させられることである。
義弟は左半身不随の後遺症で手足が殆ど意のままに動かないし、左手が使えないので頼りは車椅子のみである。
現在、独力で車椅子に乗る訓練でしごかれているが、あと二週間で車椅子を操るほど手足が動かせるまで回復するのは、素人目に見ても難しいことは歴然である。
救急病院での入院期間を第一段階とすれば、第二段階はリハビリ専門病院での機能回復訓練である。
現在、生喜病院の迎え側に付属のリハビリ病院が建設されているが、残念ながら完成は来年春とのことで、義弟はこの恩恵には間に会わない。
これが今大幅なベッド数不足であることを証明しているし、現状は完全な病院側のやりたい放題である。
救急病院を放り出された患者は、右往左往してベッドの空いている病院をさがさなければいけない非人間的状況を黙視している厚生省の責任を絶対に許せないし、便乗して太平楽をぬかしている病院どもも同罪である。
2007年5月25日
「杜撰な年金管理、5000万件支給漏れ発覚、政府責任を社会保険庁に転嫁」
老後の生活費として老齢者にとって最も大事な、貴重な年金が5000万件も
喪失し全体の再確認が不能に陥っている。
国民が政府を信用して預けた個人預金と同じであり、血税以上に支払い者にとっては貴重な財産である。
社会保険庁がこれほどひどい出鱈目な組織とは驚きであり、このような運営を見逃した監督官庁の厚生労働省の怠慢は絶対に許せない。
七月の参議院選挙を控えて新たな火種が噴出した自民党安部政権は、早急に火消しを図るべく躍起になって対応しているが、安倍の言動はむなしく響くばかりである。
安倍曰く「今回の杜撰管理を初め度重なる不祥事が続発しているので、社会保険庁を解体する法律を提案しているのに、野党は職員の身分を守るために反対しているのか?」と全く筋違いの反論を試みている。
野党の攻撃に対して是々非々を無視して相手の弱点を見つけて反論を試み、責任を回避し他人に責任転嫁を図る政治手法は、安倍の祖父である岸信介が度々使って窮地を脱してきたが、安倍と岸では器が違い過ぎる。
岸は先の大戦時には国家財政を預かる最重要ポストの商工大臣を務めた為に、東京裁判では戦争責任を追及されたが、東条以下に全ての責任を転嫁して死刑を免れ数年で娑婆に出て来た。
東京裁判そのものについては我輩なりに異論は持っているが、粛々として罪を被って断罪に処せられた広田等とは岸は全く異質の人間である。
東京裁判での岸の対応は別にして、巣鴨を出所後戦後の混乱した政界に返りざき、首相まで上りつめた頭脳と思考は流石に東大を首席で通しただけの能力を発揮したが、そのようなある種怪物の祖父の手法などぼんくらの安倍に真似出来るわけがないことを一日も早く自覚するか、取り巻きが示唆してやらねば此の国の政情を悪化させるばかりである。
政情が悪化することは、結果的には国民にツケが回って来て国民が必要以上に困難な目に合わされることになるだけである。
2007年5月28日
老後の生活費として老齢者にとって最も大事な、貴重な年金が5000万件も
喪失し全体の再確認が不能に陥っている。
国民が政府を信用して預けた個人預金と同じであり、血税以上に支払い者にとっては貴重な財産である。
社会保険庁がこれほどひどい出鱈目な組織とは驚きであり、このような運営を見逃した監督官庁の厚生労働省の怠慢は絶対に許せない。
七月の参議院選挙を控えて新たな火種が噴出した自民党安部政権は、早急に火消しを図るべく躍起になって対応しているが、安倍の言動はむなしく響くばかりである。
安倍曰く「今回の杜撰管理を初め度重なる不祥事が続発しているので、社会保険庁を解体する法律を提案しているのに、野党は職員の身分を守るために反対しているのか?」と全く筋違いの反論を試みている。
野党の攻撃に対して是々非々を無視して相手の弱点を見つけて反論を試み、責任を回避し他人に責任転嫁を図る政治手法は、安倍の祖父である岸信介が度々使って窮地を脱してきたが、安倍と岸では器が違い過ぎる。
岸は先の大戦時には国家財政を預かる最重要ポストの商工大臣を務めた為に、東京裁判では戦争責任を追及されたが、東条以下に全ての責任を転嫁して死刑を免れ数年で娑婆に出て来た。
東京裁判そのものについては我輩なりに異論は持っているが、粛々として罪を被って断罪に処せられた広田等とは岸は全く異質の人間である。
東京裁判での岸の対応は別にして、巣鴨を出所後戦後の混乱した政界に返りざき、首相まで上りつめた頭脳と思考は流石に東大を首席で通しただけの能力を発揮したが、そのようなある種怪物の祖父の手法などぼんくらの安倍に真似出来るわけがないことを一日も早く自覚するか、取り巻きが示唆してやらねば此の国の政情を悪化させるばかりである。
政情が悪化することは、結果的には国民にツケが回って来て国民が必要以上に困難な目に合わされることになるだけである。
2007年5月28日
「松岡前農林大臣の自死について。 雑感」
生前の松岡氏の政治姿勢、行動に我輩は批判的思考を持っていたが、自殺の報道に接して今更死者を鞭打つ考えは毛頭無いし、先ずは故松岡氏に心から哀悼の意を表するとともに安らかに成仏されることを祈るばかりである。
我輩は氏の訃報を博多駅から乗った個人タクシーの乗務員から聞き、瞬間、我輩は野村大人の言葉を思い出していた。
大人曰く「如何なる事情があろうとも、自ら命を絶つ勇気があれば今一度考え直して再チャレンジしてからでも遅くないのではないか」との言葉である。
二十年に及ぶ政治キャリヤを有し、今まで幾多の困難に直面しながらも今日まで政界で生き残れたのは、それなりに政治的センスを持ち合わせていた証だし、政界も松岡氏のごとく集金力に長けた政治屋を必要としたわけである。
自民党に追放されたあの鈴木宗男とは死ぬまで兄弟分の付き合いを貫いたらしいが、その意味では案外義理堅い性格の持ち主だったのかもしれない。
報道等の情報によると松岡氏はもともと三塚派に所属して、その後亀井元政調会長に付いて行動をともにして脱藩し、自殺するまでは伊吹派に所属した。
やくざの組織でいえば伊吹組若頭的存在で、集金力は派閥の親分に準じる力を発揮していたらしいが、個人的には金銭に以外に淡白であったのではないか。
何故なら、自分の選挙区に構えている熊本の自宅はマンションであり、決して豪邸ではない。
長年に亘り宗男と親交を深めていたのは、性格的に共通点があったからだろうし、両者ともに集金能力が抜群であるにも拘わらず陣笠どもに食い散らかされて野垂れ死にした感じである。
諸々の不安を感じさせながらも安倍から農林大臣に指名されたのも、全て総裁選挙での安倍支持に対する論功行賞である。
安倍の松岡氏に対する指名責任はともかく、家賃領収証問題等で再三窮地にたたされた松岡氏を参議院選挙対策のために本人の辞任希望を無視して無理やり留任させた人道的責任こそ大いに追及すぁれるべきである。
2007年5月30日
生前の松岡氏の政治姿勢、行動に我輩は批判的思考を持っていたが、自殺の報道に接して今更死者を鞭打つ考えは毛頭無いし、先ずは故松岡氏に心から哀悼の意を表するとともに安らかに成仏されることを祈るばかりである。
我輩は氏の訃報を博多駅から乗った個人タクシーの乗務員から聞き、瞬間、我輩は野村大人の言葉を思い出していた。
大人曰く「如何なる事情があろうとも、自ら命を絶つ勇気があれば今一度考え直して再チャレンジしてからでも遅くないのではないか」との言葉である。
二十年に及ぶ政治キャリヤを有し、今まで幾多の困難に直面しながらも今日まで政界で生き残れたのは、それなりに政治的センスを持ち合わせていた証だし、政界も松岡氏のごとく集金力に長けた政治屋を必要としたわけである。
自民党に追放されたあの鈴木宗男とは死ぬまで兄弟分の付き合いを貫いたらしいが、その意味では案外義理堅い性格の持ち主だったのかもしれない。
報道等の情報によると松岡氏はもともと三塚派に所属して、その後亀井元政調会長に付いて行動をともにして脱藩し、自殺するまでは伊吹派に所属した。
やくざの組織でいえば伊吹組若頭的存在で、集金力は派閥の親分に準じる力を発揮していたらしいが、個人的には金銭に以外に淡白であったのではないか。
何故なら、自分の選挙区に構えている熊本の自宅はマンションであり、決して豪邸ではない。
長年に亘り宗男と親交を深めていたのは、性格的に共通点があったからだろうし、両者ともに集金能力が抜群であるにも拘わらず陣笠どもに食い散らかされて野垂れ死にした感じである。
諸々の不安を感じさせながらも安倍から農林大臣に指名されたのも、全て総裁選挙での安倍支持に対する論功行賞である。
安倍の松岡氏に対する指名責任はともかく、家賃領収証問題等で再三窮地にたたされた松岡氏を参議院選挙対策のために本人の辞任希望を無視して無理やり留任させた人道的責任こそ大いに追及すぁれるべきである。
2007年5月30日
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