「時事雑感・草莽危言」2013-07-04
徳田は日本医師会の理不尽な医療行政と戦いを挑みながら総合病院の全国展開を目指し、現在日本全国に40以上の総合病院を経営している。
1938年2月17日生まれだから75歳であるが、学年的には我がボケ頭と同じ(因みに我がボケ頭は1937年5月14日)だと言うことも彼に特別の思いと関心を持ったのかも知れない。
徳田は奄美大島群島の徳之島に生まれ、貧しい家庭ながら父上が田畑を切り売りしながら彼の大阪大学進学を援助したと謂われている。
結局2年浪人して阪大医学部に合格して彼の医学界への進出が始まった。
大阪の松原に開業してから彼は己の医学に対する考え方を実現するために、半世紀に亘り厚生省や日本医師会の壁を突き破るために戦ってきた。
我がボケ頭も頸椎疾患になやまされて25年前に福岡春日原の徳洲会病院にお世話になった記憶が鮮明に残っている。
徳田理事長の第一のモットーは、従業員に対して「患者様はお神様である」との心構えを植え付けたこと。
故に患者は病院の廊下の真ん中を歩き、医師や病院関係者は廊下の端を移動せよ!ということ。
春日病院で先ず感じたことは、確かに病院関係者は廊下のど真ん中を歩いている者は九大病院に比べると遥かに少なかったことは覚えている。
ところが診察に当たった医師が若造のくせに横着な態度と言葉遣いだったので、一言「先生、あんたの師匠の徳田理事長は、患者さんは神さまである」というのがモットーではないのか?」と、一発かましたら素直に頭を下げたのを覚えているし、今回理事長のことを取り上げる切っ掛けでもある。
徳田理事長は1971年に大阪・松原に最初の病院を開業して42年間にわたり唯ひたすら病院経営と拡大と医学界の改革に邁進してきた。
我がボケ頭が更に感心しているのは、徳田が2002年に難病の筋萎縮性索硬化症ALSという難病に取り付かれながら、未だ徳洲会を経営している経営者魂というか生き様に感服したことである。
この病のために徳田は全身麻痺で身動きならず、視力と聴力はかすかに機能しているが、話すことも出来ないので己の意志を通じさせるのに目の動きを秘書が理解して伝えているらしい。
我がボケ頭は五体満足なのに、数人の取り巻きに意志を伝えきらないようではお陀仏である。
2013年7月13日 元始求道会マルキG 毘沙門寺岡