「時事雑感・草莽危言」2011-07-01
“光陰矢の如し”とは良く言ったものだが、昨今は特にそのことを強く感じている。
今年を振り返って見ると、公私ともに一つの変化が生じた前半だったと思う。
一つは我がグループを取り巻く情況に変化が生じたことであり、公的にはやはり三月十一日の東日本大災害と福島原子力発電所事故に関連する事件である。
大災害の視点から見れば、我がグループの問題など取るに足らないことなので国家的視点から振り返って見たい。
今でもはっきり覚えているが、三月十一日午後から衆議院予算委員会をテレビで見ていたら午後二時四十分頃いきなり議場が揺れ始めテレビの画面にテロップが出て委員会は中断したことを鮮明に思い出す。
後ほどNHKの報道で知ったのだが地震発生の正確な時間は14時46分だったそうで、予算委員会では正にあほ菅の在日外国人からの105万円の献金問題が槍玉に挙げられている最中の出来事である。
先に、前原が同じく在日外国人から二十五万献金を受けたことが発覚し、責任を取って外務大臣を辞めたばかりであり、当然献金額も前原の五倍も受領しているあほ菅も責任が追及され辞任に追い込まれる寸前だったわけである。
大災害があほ菅の政治的危機を押し流し首が繋がったのである。
そのことを考えれば、単に延命策に拘らずに本気で国政に専念すべきなのに、大災害対策は放置して相変わらず如何に一日たりとも長く総理の座にしがみつくかということしか考えていない。
最近の政治的混乱ぶりや、経団連の東京電力に対する対応姿勢等を見ていると、我が日本国に本当の意味の民主主義は不向きではないのかと考えたくなる。
国家にしろ、大企業にしろ、極道組織にしろ、最高責任者は失敗の責任を命がけで己を律することは組織としてごく当然のことである。
この極当然の規律があほ菅の念頭には無いし、欠けていることを仲間の民主党員にも国民にも、官僚にも見透かされている。
我がボケ頭の予想では、あほ菅は再度不信任案を提出されて民主党員の造反多数で成立されない限り総理の座を明け渡さないと思う。
2011年7月1日 元始求道会マルキG 毘沙門寺岡
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