「時事雑感」2010-08-07
1945年8月15日の天皇陛下のお言葉から今年で満65年になる。
我がボケ頭が満八歳と三ヶ月のお盆の最中であった。
お盆と書いたけど多分当時はご先祖様を供養する余裕などあるはずもなく、国民一人一人が生きることに精一杯の時代であったように思う。
我輩は親父の意向で疎開していたが、どういうわけか15日には福岡市の自宅に帰っていて、陛下の玉音放送を親父と一緒にラジオで聞いた記憶がある。
ここまで書いて、ここ数年この日に対して我がボケ頭は如何なる感慨を持って過ごしたのかを振り返るために、過去のこの欄を検索してみた。
しかるに一昨年つまり2008年の8月15日に記した中に、本来国家の歴史的事件は半世紀を一つの括りとして総括すべきである為、終戦記念日を政府主催で行うのはいい加減改めよと書いている。
そのような感慨のもとに昨年、つまり2009年8月15日は我がボケ頭は無視して取り上げていない。
敢えてやるとすれば日本国最高指揮官として、今後の日本国のありよう、目指す目標に対して向こう一年間をどのように導くのかを国民に示す機会として生かしていくことを考えたらどうだろう。
但し今の菅のように最高指揮官としての器でない奴の施政方針などは論外であり、意味が無いのは当然である。
そこで我がボケ頭の考えであるが、最高指揮官としての器不足の昨今に対応する為に首相代理制度を採用しては如何なものか?
本来首相代理とは首相が急病等で執務不能に陥った時に次期後継者を選ぶ期間勤めるのが普通であるが、如何せんこの国にはなかなか親分に相応しい人物が現れない。
そこで身分を首相代理にして一年間政治力を試してみては如何なものか。
代理の間は簡単に首切りが出来る制度にして、最高指揮官としての権限も分散して各大臣の権限を強化し、責任の所在を明確にして補う。
無能力な総理大臣一人に権限を任せずに、一年間の首相代理期間は財務大臣と官房長官にも首相代理を兼務させて合議制にすれば如何かなと思う。
合議制は責任の所在が曖昧になる欠点はあるが短期間を凌ぐには止むを得ないのではなかろうか。
2010年8月16日 元始求道会 毘沙門寺岡
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