「時事雑感・草莽危言」2012-01-07
初場所12日目・稀勢の里戦での把瑠都の変化技勝利に対して協会理事長やマスコミが盛んに把瑠都を非難しているが、お門違いも甚だしいと我がボケ頭は感じている。
言うまでも無く相撲は勝負なのだからどの力士も勝利を目指して土俵に上がっているはずだし、勝利する為に正当に認められている技を行使するのは当然であり、ましてや優勝を狙える地位にやっとたどり着いて、数少ない優勝のチャンスを生かす為に全知全能を傾注するのは勝負師として当たり前である。
立合いの変化技は、それこそ把瑠都が稀勢の里に対して全身全霊をつくして必死に戦った証であると我がボケ頭は理解している。
それに把瑠都は名前のごとく、遥かかなたのバルト三国から銭稼ぎに来ている外国人力士であることを考えれば至極当然の変化技である。
その変化技に簡単に土俵を飛び出した新大関稀勢の里こそ不甲斐ない敗戦を責められるべきではないか。
把瑠都・稀勢の里戦に続いて行われた結びの一番・白鵬対日馬富士戦も頭を下げて立合いに臨んだ白鵬が、日馬富士の変化技に対応できずあっさり土俵を飛び出してしまい憮然としていたが、取り組み後の記者には「負ける方が悪いんだよ」と悔しさを飲み込んで感想を述べたのは流石に横綱である。
遂すう場所前まで八百長相撲問題で本場所を休場したり、審査場所とか訳のわからないテレビ放映もしない変形場所をやったりして何とか凌いで来たにも拘わらず、協会改革は遅遅として進んでいないのだから理事長たるものはもっと基本的な問題に目を向けるべきだと思う。
へそ曲がりの我がボケ頭としては、立合いの変化技こそガチンコ勝負の変形であり八百長相撲でない証拠だと想像している。
大相撲が人気を回復しようと寂れようと、我がボケ頭の懐具合には全く関係ないし、永年に亘りテレビ桟敷で観戦している身としては何某かの意見は持っている、例えば最近急激に増えてきた把瑠都他の外国人力士にはカタカナの名前を認めるくらいの柔軟性はあっても良いのではないかと思う。
床山さんの失業にも繋がるかも知れないが、そろそろちょん髷も廃止したら如何なもんかな。
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